- とちぎのしゅし
- 書き手の眼鏡で世界を見る|書いていこうよ、プロじゃなくても|#9
書き手の眼鏡で世界を見る|書いていこうよ、プロじゃなくても|#9
こんにちは、ライター・編集者として活動している山越栞です。
この連載は、書くことを通じて、より多くの人が自己実現に近づくことを願い、「プロじゃなくても書いていこうよ」「なにもしないより書いたほうがきっといいよ」と伝えていくものです。
たとえば今いる環境に閉塞感を抱いている人、やりたいことはあってもどう吐き出すべきか模索中な人に読んでもらえたら嬉しいです。
そして、第9回のこの記事で、この連載はついに最終回となりました。
名もない書き手の私信のような記事をこれまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
今回は、書きたい貴方へ、駄目押しのエールです。
書いていこうよ、プロじゃなくても
連載名の「書いていこうよ、プロじゃなくても」には思い入れがあり、個人的にも大切で好きなフレーズです。
主に届けたかった具体的な相手は、これからライターとして活動してみたいと思っている方や、プロのライターではないけれど文章を書かなくてはならない中小企業の方でした。
上手く書けるか不安で尻込みしてしまったり、文章に対する苦手意識から、自身や事業の可能性が狭まってしまう場面で、少しでも支えになれるコンテンツをと考えました。
また、具体的な文章作成のノウハウを盛り込まなかった(盛り込めなかった)理由はふたつあります。
文章に間違いはあっても正解はないし、ノウハウよりも、書き出すまでのマインドづくりのほうがよっぽど大切だと思っているからです。
プロならばノウハウは多少必要になるけれど、そもそもどこからがプロなのか、ライターの場合は特に定義が難しくもあります。
私自身が学生時代に何度も調べた「ライターになるには」という記事たちには、ほとんどに「文章を書いて名乗ればライターにはなれる」と書いてありましたし。
だからいっそのことプロか否かは考えないことにして、「書く」という行為と対峙する人ができるだけ軽やかに取り組めるように、体験談を元にコラム化したのがこの連載です。
ここからは、文章を書くことを仕事にしてから常々頭に浮かぶ、「書くことは生きること」ということばを掘り下げてみます。
「文章を書こう」と思いながら、世界と向き合ってみる
松任谷由実さんの『やさしさに包まれたなら』に、“目に映る全てのことはメッセージ”という歌詞があります。
これはきっと本当ですが、どんなことをメッセージとして読み取るかは、私たちがどんな眼鏡をかけて世界を見るかで変わるものだと思います。
例えば美しい建築物を前にした時、大工さんはそのつくりに目がいくし、画家はそれをどう描くかをイメージするし、物書きはどんな文章で表現しようかと考えるかもしれません。
ひとりの同じ個人であっても、いろんな側面を持つ私たち人間ですが、文章を書こうと思っているときは、こんな風に「書き手としての眼鏡で目の前に映るものと対峙すること」が大切なんだと思います。
「書くことは生きること」。つまり、生きていくなかで「書く」を考えることができれば、アウトプットするまでのハードルは格段に低くなります。
ただ、人には物事の捉え方にいくつか特性があるそうで、同じ出来事でも頭の中で言葉にして捉える人や、映像にして捉える人など、個人差があるとも言われています。
では、言葉で捉えるタイプなら文章を書くのが得意なのかというと、そうは断言できません。
なぜなら書けることはもともとの才能ではなく、気概と訓練によって養われるものだと思うからです。
「書くぞ」と思った自分を信じること
誰もが言葉を読み書きできる現代で、大人になった私たちが文章を書くときに必要なのは、やっぱり気持ちです。
最後の最後に根性論みたいになってしまって元も子もないのですが、極論はそうなってしまいます。
資格を必要とされない「書く」という行為で評価される人たちは、言い換えれば「書き続けてきた人たち」でもあります。
初めからものすごく文章が上手だった人なんて稀です。
たくさん書いて、言葉が目に見える状態にしていくのを繰り返していくうちに、自分なりに納得できる文章が出来上がっていくもの。
そのことをどうか信じてください。
だからまずは、書いていきましょう。
\SNSで記事をシェア/
この記事を書いた人
山越 栞
企画・編集・ライティング
日光エリア・東京在住
関連記事
Related
この記事を読まれている方には
こちらもおすすめ!