②7歳からプログラミングをはじめた幼少期
7歳でプログラミングを始める「きっかけ」は何だったのですか?
親戚のおじさんがパソコンを購入して、私が夏休みの時に10日間貸してくれたことが「きっかけ」です。その10日間は、朝から父が帰ってくるまで夢中でプログラミングしていました。その後も、プログラミンを独学で学びつつ、宇都宮で出会った大人のエンジニア達と交流を深めていきました。
当時は、NECやシャープのマイコンが栃木で作られていたんです。宇都宮市内にもパソコンショップが10店舗近くあって、そこにはパソコンを数台貸し出す研究室もありました。そこにプログラマーやエンジニアが集まっていて、みな既存のコードを解読して別のゲームを作ったり、今でいうスタートアップの文化が30年以上前の宇都宮にあったんです。
私がTech系の創出に魅了されたのは小学生の後半から、ゲームのコードを学んで独自のゲームを造る様になりました。小学生ながらに、ゲームを自分で作って学校帰りに友達がそのゲームで遊んでいました。6年生の時は、自分で作ったゲームを秋葉原で売った経験もあります。小学生にとっては良いお小遣いでしたね。笑
→叔父さんがパソコンを貸してくれたことがきっかけで、プログラマーへの道がひらかれたんですね。宇都宮に技術者がたくさんいた事は驚きです!今でこそ、学校教育に「プログラミングが必修科目になる」という時代になりましたが、マスキンさんは30年前にそれを体験されていたんですね。凄い。
どんな子供でしたか?
プログラミングもそうでしたが、私は「ものづくり」が好きだったんだと思います。ブロック遊びに熱中していたので集中力はあったのかもしれません。
ものをつくる喜び
両親は音楽家で講師もしていました。そこに通っていた幼馴染(おさななじみ)がチェロで世界一になったりと、周りにすごい人が多かったので、「創造すること」に対して「強い刺激」を受けた幼少期だったと思います。
※私は音楽の道にはいきませんでしたが、後に「坂本龍一さん」や「DJ松浦俊夫さん」「m-floのDJ Takuさん」など、一流の方達と交流が生まれたのは面白いご縁です。
小学校の頃は、学校に「好きな先生」がいなくて。それも関係して、プライベートで「モノづくり」にのめり込んでいったんだと思います。漫画を描くのが好きで、友達と「インドクラブ」という漫画の同人会を作ったり。描いた用紙を針と糸で製本したりと、結構こってましたよ。
中学3年生の時に「パイナップルARMY」という浦沢直樹さんの漫画に「すごく感動」して。その感動を「文章で再表現できないか」とチャレンジしたのですが、まったく表現できませんでした。それが「すごく悔しかった」のを今でも覚えています。そこで文章作成に火がついたのかもしれません。
→漫画や文章作成もれっきとしたモノづくりですよね。これはどの子供でもチャレンジできそう!中学の時はプログラミングはしていたんですか?
プログラミングは継続していました。友達と「三角点」というチームを組んで「アドベンチャーゲーム」を作ったりしていました。音楽担当・構成担当、を決めて取り組みましたが、誰もやってこなくて。笑。結局私一人で作ったという想い出があります。笑。それがきっかけにもなり、当時全国でも数校だけが展開する「IT系の特別カリキュラム」があった高校に進学しました。
「プログラミング」と「アートや文章作成」の作り方は似ている
高校は結局、先生の知識が足らず、私が先生にプログラミングを教えるという「トホホ・・」な状況で、けっこう挫折感を味わいました。ただ、コンピューターに触れる機会は増えて、プログラミングと文章作成が「非常に近い」と感じたのを覚えています。
全体の構成をどうするか考えたり。ただコピーするだけではなく自分の中で咀嚼(そしゃく)して変更したり。「ちょっとした所」にこだわって自己満足的に美しく書いたり。作り方の「思想」の部分は一緒だと感じました。とはいえ、高校時代に一番熱中していたのはバンド活動でしたが。笑
③キャリアストーリー:アメリカ時代とスタートアップ支援を経てWEBメディア運営へ