池上知恵子 (いけがみ ちえこ)
ココ・ファーム・ワイナリー 専務取締役
県南エリア 栃木県足利市出身
こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリーの創立者である川田昇氏のご長女であり、現在の専務取締役である池上さん。障害をお持ちの園生が活躍できる場をつくりつつ、国や企業、飲食店や専門家など多方面で評価されるワインを造られています。
東京の出版社で勤務した後、地元の足利市に戻ったUターン経験者。大変な事もたくさんあるであろう、その活動と、それを支える想いや考えをうかがってきました。
目次
もくじ
1、ワイン造るよー!
2、こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリー
3、園生に教えてもらうもの
4、父から引き継いだもの
5、未来のしゅし
1、ワイン造るよー!
◆どんな想いで、編集者を辞めて足利に帰ってこられたのですか?
「想い」というのはなくて「なりゆき」だったような気がします。昔からあんまり深く考えないで、行き当たりばったりでやってきました。「お前の性格は水だ」と言われた事があります。器によっていくらでも変わるみたいです(笑)。
私の父の実家は果樹園、母の実家は酒屋でしたから、ワイン造りは宿命だったのかもしれません。生まれた時点では本人の「想い」はないですよね(笑)。「ワイン造るよ!」って言われて「じゃあ大学いくよ!」って感じでした。
◆東京ではどんな生活をされていたのですか?
栃木県の足利市に生まれ育って、東京女子大に入学して社会学を専攻。※入試があった1969年は東大の入学試験が無かった年だったの(笑)。
その後、出版社で編集の仕事をやっていました。当時の勤務先は神宮前4丁目、今の表参道ヒルズの近くにあって、あの頃はセントラルアパートも元気で、今思うと面白い時代でしたよ。
出版社勤務の頃に子どもが生まれました。何が大変って8時間続けて寝られないのが一番大変だった。育児は朝9時から夕方6時までで週40時間の所定労働という訳にはいかないものね。
◆ワイン造りにむけ再度、大学に通う。
その頃、父からワインを造るという話があり、「学生になれば自由な時間があって8時間続けて寝られるのではないか」というふらちな理由でもう一度大学に行き醸造を学ぶことにしました。東京農業大学を受験して入学したのですが、これが行ってみたら、実験やら実習で大忙し。
一度目の大学の時は「大学闘争」で授業が行われない休講が多く、自由な時間がたくさんあったけど、二度目の大学生活は、勉強することがたくさん。いろんな人にお世話になって、子育てをしながら大学に通いました。1984年、卒業と同時に足利に帰ってワインづくりをはじめました。
今考えてみると、田舎でワインをつくるという選択は「子どもを育てる」という生活を経験していたからできたのかもしれません。人や自然に寄り添って働く仕事は、定時の労働契約で働くビジネスとそぐわないところがありますからね。
→特に想いというものは無かったのですね!それでも、結果として再度大学に通われ醸造を学び、その後、足利でワイナリーを運営されている。その一連の行動は凄い事だと思います。
2、こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリー へ つづく
2、こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリー
◆現在のココファームの運営はどの様にされているのですか?
「ココ・ファーム・ワイナリーは、障害者を雇用しているの?」と聞かれることがよくあります。障害を持ちながら働いている人もいますが、どちらかというと「こころみ学園の園生たちが生き生きと暮らせるように」という想いがあって、できた会社です。
具体的にいうと、現在、こころみ学園は葡萄や椎茸を栽培して、ココ・ファーム・ワイナリーに納品しています。一方、ココ・ファーム・ワイナリーはこころみ学園に葡萄代や農産物や工芸品の仕入れ費用を支払ったり、学園生たちに、ワインの仕込みやビン詰めなど醸造場での作業を業務委託しています。
雇用ではなく業務委託にしているのは、皆に満遍なくお小遣いを配るため。
たとえばAくんがビン詰めに来ているときに、Bさんが台所でAくんが食べるニンジンを切っていたり、CさんがAくんの洗濯物をたたんだりしている。みんなができる範囲で、できることをしているので、AくんだけでなくBさんやCさんにもお小遣いが配れるようにしています。
◆どんな事が池上さんの活動のエネルギーとなっていますか?
あるビン詰めの日、レギュラーメンバーのDくんが来ていません。そこで宿舎にD君を迎えに行きました。Dくんは布団に寝ています。
「どうしたの?」 とたずねると、D君は 「け、け、仮病です」。
「そうかい、そうかい大変だ!ゆっくり寝てたほうがいいよ。」
なぁんてこともありました。(笑)
→そんな時、池上さんはどう解釈して、接するのですか?
仮病には、納得しちゃったから。
通り一遍の基準ではカバーできない事もたくさんあるんです。
その点、職員やスタッフのみんなは、大変な事も多い中で「気長」にやってくれている。
とても感謝しているし。頭が上がらない。
→なるほどぉ~~。
みんなが自由にのびのびと働くため
園生みんなに配られた葡萄代金や業務請負のお金は園生みんなで自由に使います。お正月に浅草に行ったり、夏休みに海や温泉に行ったり。
3ヶ月に一度、買物実習があって市内のショッピングセンターへマイクロバスに乗って買物に繰り出します。3,500円が入ったお財布を握りしめて好きなものを買って、店員さんへお財布ごとだしてレシートとお釣りをお財布の中に入れてもらう。そんな風に買い物をします。
なかにはココワインを買って帰る園生がいたりして・・・。やっぱりきれいなマーケットに自分たちがつくったワインが並んでいるとついつい買ってしまうのでしょう。
こころみ学園の園生の最高年齢は94歳のTさん。150名の園生のほとんどが重度の知的障害を持っています。今まで、「障害者の自立」とか、「働き方改革」とか、「福祉と農業」とか、時代時代でいろいろ言われてきましたが、私達は目の前の事にたんたんと対応することしかできません。工夫はしていますが、人間らしくありたいという本質は変わっていないのかもしれません。
そして、具合が悪いときは仮病で寝たり、お天気のいい日曜日には畑仕事をしたり、自分がつくったものを買ってきたり・・・。「人間が働くということは、本来こういうことで良かったのではないか?」と思うことがあります。
障害があろうがなかろうが、みんなが自由にのびのびと働くためにも、皆さんに喜んでもらえる「ほんとうに上質なワイン」をつくりたいのです。
→上質なワイン造りの原動力に「園生達がノビノビ働ける為」「ワインを飲んだ方に喜んでもらいたい」という想いがある。園生との生活の中で「人間」の暮らしや働き方を考え直す機会も多いのですね。
「3、園生に教えてもらうもの」 へ つづく
3、園生に教えてもらうもの
◆どんな点で、苦労されていますか?
今でも大変ですし、これからも大変でしょう。
ある時、雹(ひょう)が降って、葉っぱや新芽がやられて、葡萄が全滅。わたしやスタッフは真っ青。相手が自然とはいえ、損害額は数百万円なんて事もありました。
また、2003年に火災になり皆さんにご心配をおかけしました。1984年に最初にワインづくりをはじめた葡萄小屋や、前年4月にオープンしたばかりのカフェも跡形もなく燃えてしまったんです。
昭和33頃、父や当時の足利市立第3中学校の生徒さんたちが山を開墾して葡萄畑をつくり、昭和44年こころみ学園ができました。
もともと、こころみ学園で果実酒製造免許を取りたかったのですが、こころみ学園では酒税の関係もあって免許を申請できませんでした。昭和55年こころみ学園の考え方に賛同する父兄たちの出資によって、有限会社ココ・ファーム・ワイナリーが設立されました。
この有限会社が果実酒製造免許を申請し「ワインを造り、ワインを販売し、そこでワインが飲めるように」と、自然の流れでできることを増やしてきましたが、この場所は市街化調整区域だった。火事の後は、たくさんの方に応援していただき、足利市が栃木県に開発の許可を得てくださいました。
そうして、こころみ学園の葡萄畑で葡萄を作り「ワインを造り、ワインを販売し、ワインが飲めるように」なりました。
→自然相手で想像できない事や、絶望的に大変な事も起こる中で、色々な方達に支えられながら、前に進まれてこられたのですね。
ほんとうに、たくさんの方に支えていただき、歩んでくることができました。
教えてもらう事が多い。
雹(ひょう)で私達が落ち込んでいる時も、いつものように「あしたがんばんべぇ」といいながら園生たちが山を下りてきます。そして、食堂でたくさん食べてぐっすり寝る・・・。
園生達と自然のなかでワインを造っていますと色々なことが起きます。でも自然に対して「なんてことをしてくれたんだ」とか「雹なんか降らなければいいのに」といっても、どうにもなりません。不安に打ちのめされるより「いっぱい食べてぐっすり寝る」その方が生物としてまとも。生き物として正しいと思います。
こころみ学園の園生達は、社会で言われている「成功体験」も「人から褒められること」も少ないかもしれません。でも園生は、誰のせいにもできない障害を抱えながら、3ヶ月おきの買物や1年に一度のバス旅行を楽しみに、泣いたり笑ったり、喧嘩したり仲よくしたり・・・。そんな園生には困難を従容として受け止めることを教えてもらっているような気がします。
いいこともあれば、悪いこともある。悪いことばっかりではないし、いいことばかりは続かない。有頂天になることもないし、卑屈になることもない。
うーん。考えさせられますね。
「何が良くて、何が悪いか」。我々が喜んだり、落ち込んだりしている基準が正しいとは言えないのかもしれませんね。「人間とは」「生きるとは」という問いに対して、革新的な気づきを与えられることもあるんですね。
◆「受け止めるしかない事」を受け止める為に、理解しておくべき事はなんでしょうか?
「しょうがない」とあきらめざるを得ない事はたくさんあります。「理解」できる事も、できない事も含めて「寄り添う」といった感じでしょうか。
ただそこにいる。
「まずしさ」や「不便さ」を取り除こうとして、近代社会は進歩してきました。ただ、その中で生まれた基準が、逆に、喜びも生めば、苦しみも生んでいる。「ただ生きる」という事は、現代では遠回りかもしれないけど、人間が生きる上で「大事」なんじゃないでしょうか。
→目の前の事態や相手に対して、「理解」できる事も、できない事も含めて「寄り添う」。楽観や悲観ではなく受け止める。楽観や悲観を生む、元にある基準や考え方から見直してみる価値はありそうですね。
「4、父から引き継いだもの」 へ つづく
4、父から引き継いだもの
◆お父様から「何」を引き継がれたと考えますか?
ワインづくりに最低限必要なものは、バケツ(容器)と葡萄。日本ではこれに果実酒製造免許が必要になります。水も砂糖も酵母もいらない。全部、葡萄に含まれています。ワインづくりのほとんどは葡萄畑で行われます。
ココ・ファーム・ワイナリーのワインづくりの特徴
1、適地適品種による葡萄栽培:それぞれの土地で無理をしないでも元気に育つ葡萄品種をそだてること。
2、野性酵母によるワインづくり:元気な葡萄の果皮についている野性酵母(天然の自生酵母)による醗酵が中心です。
3、葡萄がなりたいワインになれるように:自然の持ち味を存分に生かすために、自然に寄り添ってワインを造ります。
ワインづくりは、自然や科学、芸術や文化、社会や哲学など、いろいろな分野と関係がある。特に自然との関係は濃厚で、たとえば、葡萄畑では植物の葉緑素が、太陽の光によって、二酸化炭素をグルコース(ブドウ糖)と酸素に変えます<光合成>。このブドウ糖を目に見えない微生物である酵母が、アルコール(ワイン)と二酸化炭素(CO2)にかえます<醗酵>。
ワイン造りに人間はほんの一部分
植物がブドウ糖を造り、そのブドウ糖を微生物がワインに変えていきます。私たち人間が「ワインをつくっている」なんていいますけれど、葉っぱという命や酵母という命があって、はじめてワインができる・・・。
さらに、飲む人や買ってくれる人がいなかったら、次のワインは造れない。土壌を耕す微生物の命、土壌に根を張り太陽を受けた植物の命、そして飲む人の命・・・いろいろな命のおかげで、私たちは仕事をし、暮らしていくことができる。ありがたいことです。
父、川田昇がよく言っていました。「消えてなくなるものに、渾身の力を注げ」と。
田舎でこころみ学園の園生たちと、葡萄を作りワインを造っていますと、人間の非力さをつくづく感じます。同時に、非力な人間だからこそ、一生懸命やりたいと思うのです。
人もやがて消えてなくなるけれど、その日まで渾身の力を注げたら・・・。ワインづくりは10年20年ではなく200年300年の仕事です。その時代その時代を生きる人たちが順番に力を出しあっていけたらいいなと思います。
→普段はなかなか意識しない様な事柄に対しても、ワイン造りを通じて着目する機会がある。
そして、そこには様々な命がかかわっており、それぞれにしっかりと感謝されていらっしゃるのですね。
◆「消えてなくなるものに、渾身の力を注げ」こちらはどの様に解釈されていますか?
ワインも飲んだら無くなります。人もいつか必ず死にます。消えてなくなる人生を一所懸命に「生きること」なのかもしれません。「消えてなくなるもの」が何かは、皆さんがそれぞれ想像してみてください。
「5、未来のしゅし」 へ つづく
5、未来のしゅし
◆栃木県や足利市はどんな印象ですか?
そもそも地球に、国や県で線引いてどうするんだ。とも思いますが(笑)
栃木県は魅力のある県ランキングとかで最後のほうを守っているんでしょ?
他の県に「お先にどうぞ」と道をゆずる。うん。見上げた県だ!!(笑)
ランキングや点数に関係なく、栃木県には色々なところに、はたを楽にするために働いたり、人を楽しませている、魅力的な人たちがたくさんいる。
◆「自分の道」や「自分にあった仕事」を考えている人にアドバイスをお願いします。
適地適品種
ブドウの種類によって、合う土壌、合わない土壌があります。暑いところで良く育つ葡萄を寒いところで育てても上手に育ちません。結果的に、枯れたり、病気になりやすくなってしまう。
園生でも計算がまったくできないけど、コツコツと同じことを続けられる人がいます。その人に、計算が必要な作業をたのんでもしょうがないのです。
合っていない所に、無理に合わせる必要はないのかもしれません。無理をしない。目の前の事に対してできる事をする。
→人においても、体調不良や不調はアラートともとれます。かといって、自分を見ずに、環境だけ変えても、根本改善にはつながらず、また同じことをくりかえしかねない。「自分」と「環境」のどちらも理解してく為にも、理性と感性を大切に「生きる」。その上で「消えてなくなるものに、渾身の力を注げ」なんですかね。
広い視点で、寛容に
現代は、ある種の成功の形が過剰な気がします。自分の理想にこだわりすぎて、かっこ悪い事に「寛容」になれない。自分や他人に対して、不寛容になっていませんか?
もっと自分にも他人にも「寛容」になっていいんじゃないかって思います。
人に頼ったっていい。
どんな人も、昔は何もできない赤ん坊で生まれ、障害をもったり、病気になったり。そのうち老人になり、ほとんどの人が色々な事ができなくなって終末を迎えます。
働きざかりの人が「かつて自分が赤ん坊であったこと、そのうち年をとること」をあたりまえに「支えている」。そんな世の中こそ、いい世の中ではないでしょうか。
「子ども叱るな、来た道だもの。年寄笑うな、行く道だもの」って言うでしょ。
あとがき
池上さんは、とってもユーモアがありチャーミングな方でした。お話をしていて、論理的かつ明瞭でありつつ、私の意見を尊重し受け入れてくださる「温かさ」がある。「この人たちあっての、こころみ学園であり。ココ・ファーム・ワイナリーのワインがあるんだな。」と、合点がつきました。
「悲しみに寄り添えるワインでありたい」。池上さんはおっしゃっていました。※その時だけ、池上さんの眼元が緩んでいた事は、私のココロと、この記事に残しておきたい。自然や園生と向き合っていく中で訪れる、かけがえのない「喜び」や「悲しみ」が、ココ・ファームやこころみ学園の「色」や「味」に繋がっているのかもしれません。
こころみ学園やココ・ファーム・ワイナリーの「活動」や「想い」にふれ、尊敬と共感から「その活動を応援していきたい」と素直に思いました。合わせて、自分自身が生きる世界でも、少しずつ「人に頼ったり」「人を支えたり」。できる事から「社会に関わっていく」事は、「彼らと共に」活動していくという事なんじゃないか。私はそう感じました。
あなたはどう思いましたか?
1、ワイン造るよー!
2、こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリー
3、園生に教えてもらうもの
4、父から引き継いだもの
5、未来のしゅし